ネパールでの暮らし、第2幕のはじまり
ネパール事務所 小林麻衣子

2022/09/26

みなさん、ナマステ(こんにちは)。
 
何度目かのネパール駐在となる今回、赴任してからそろそろ7か月が経とうとしています。気がつけばふたつの季節がめぐり、空の青さとともにそよぐ風が気持ちよく感じられるようになりました。
 
アムダマインズに入職した2008年以来、一貫して関わってきたネパール。これまでの駐在生活といちばん違うのは、3歳の娘と一緒にいるということです。いつの間にか長くなったネパールでの滞在で、酸いも甘いも、ひと通りの経験をしてきたつもりでいましたが、今思えば、それらはあくまでも外国人として仕事をする上でのこと。ネパールにおいて取り組むべき大切なタスクとして「娘の生活」が加わった今、この国の社会システムの中で、様々な葛藤を抱えながらも日々成長していく彼女の姿を通じて、まったく新しい経験をさせてもらっています。
 

手押しポンプを操る3歳の娘。日本ではできない経験を通して、たくましく育っています。

 
日本のような保育園が一般的ではないため、娘はプレスクールと呼ばれるところに通っています。日本でいえば幼稚園に相当するのでしょうが、あくまで「スクール」らしく、シラバスに沿った授業があり、毎日宿題が出され、学期ごとの試験まであります。
 
とはいえ、まだ娘は3歳。私自身は、友達や先生たちと楽しく過ごしてくれればそれでいい、と思っているのですが、ある同級生の親御さんが先生に「うちの子はまだ字が書けないので、課外クラスをとった方がいいでしょうか?」などと相談しているのを耳にして、あまりの教育熱の高さに驚き、厳しいネパールの教育システムの一端に、たった3歳の娘を歩かせ始めてしまったことを、うしろめたく思ったりもしました。
 
日本の保育園や幼稚園では「宿題」は一般的ではありませんが、こちらでは毎日のように出されます。とある日の宿題は「ピーマンを緑色で塗りましょう」というものでした。

 
そんな親の心中を知ってか知らずか、ありとあらゆることを吸収できる脳の成長段階にある3歳児は、プレスクールで教えられたことを、割とすんなり覚えてきます。このところ、彼女が「これ好きなの」と言って、歌って聞かせてくれるネパール語の歌があるのですが、それはなんと国歌。響きがカッコいいんだそうです。ネパール国歌そのものは、私も何度も耳にしたことがありますが、歌詞を覚えて自分で歌うまでには到底至らず、その意味さえも知りませんでした。
 
しかし、娘が「好きだ」というこの歌をなんとしても一緒に歌いたい、という思いから、ネパール歴14年にして初めて、ネパール国歌を検索してみたところ、冒頭から、その美しい歌詞に心ひかれました。
 
♪ 100束のいろいろな花束でつくったひとつの大きな花の輪。それが私たちの国、ネパール・・・
 
そうだ、この国の最大の魅力は多様性だ。
 
とかく娘の生活については、彼女が日本で大切にしていたものや慣れ親しんだ環境を、親の都合で突然とりあげることになってしまい、悲しい思いをさせているんじゃないかと、申し訳ないような気持ちになることも、正直、多くあります。
 
けれど、歌詞にもある「100を超える民族と文化、そして世界最高峰のヒマラヤから肥沃で大きな平野に至る豊かな自然」に目を向けると、ここにいるからこそ経験できることや磨かれる感性がたくさんあるように思えてきました。ネパールの国歌を、プレスクールで教えられたとおり、右手を胸にあて、左手を腰に添えて歌う娘の姿は、私の目には「ママ、がんばろうね」と言ってくれているように映るのでした。
 

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この記事を書いたのは
小林麻衣子(こばやしまいこ)
ネパール事務所 事業統括


外国語の学習が好きで、大学ではヒンディ語を専攻。バックパックを背負って毎年インドを訪れる。大学院を休学して長期滞在したインド・ビハール州の農村で、村の人たちと生活を共にしたことが「地域開発」に興味を持つきっかけに。国際学修士を取得後、青年海外協力隊員としてスリランカで活動。2008年にアムダマインズ入職後は一貫してネパール事業に携わる。趣味はコーヒー。栽培と焙煎にも手を出しつつある今日この頃。岡山のお気に入りスポットは、玉野市から倉敷市児島に向かう海沿いの国道430号線。岡山県出身。

 
 

 

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