理事長ブログ「うみがめ便り~X局長の死」

2019/09/05

あれは2018年の2月上旬頃だっただろうか、彼の突然の死を告げるニュースが私の元に届いたのは。
 
シエラレオネで一緒に仕事をしていた保健衛生省のX局長が、「タイで開催される国際保健会議『The Prince Mahidol Award Conference (PMAC)』に出席してくる」と言って出発して行ったが、帰らぬ人となった。(私の記憶に間違いがなければ)帰国途中、バンコクからブリュッセルに向かう機内で静かに息を引き取ったとのこと。機体後方部の座席で動かぬ彼を見て、恐らく周りの人はまだ眠っていると思ったのであろう。着陸後、すべての乗客が各々の機内荷物を抱え、足早に出口扉に向かって立ち去る中、彼の背中がシートの背もたれから離れることはなかった。
 
会議に同行した関係者によると、すでに往路の飛行後、バンコクに到着した彼の下肢部はパンパンに膨れていたとのことである。典型的な極度のエコノミークラス症候群(急性肺血栓塞栓症)である。原因は先天性、後天性の双方が考えられ、一般的な生活習慣病との関連性は解明されていないが、長時間のフライトには向かない体質だったと言える。水分補給、軽い運動をするなどの予防行動はとったのだろうか?
 
X局長は医師であり、シエラレオネでは、疾患予防と管理(Disease Prevention and Control)の第一人者であった。自身の病状や体質、当日の体調についても自覚していたはずである。恐らく、公私ともに極度に忙しかったのであろう。エボラウィルス感染症が全国に蔓延する中、彼は海外ドナーからの多種多様な支援をコーディネートし、緊急対策の実行に尽力した。終息後も、エボラ再発防止のため、また保健衛生省の組織再編、システム強化のためのプログラムが目白押しであった。死につながった潜在的な原因を治療するために費やす時間もなかったのであろう。
 

埋葬前の別れ

 
2018年2月18日、ブリュッセルから運ばれた彼の遺体は、生まれ故郷カンビア県の小さな村に葬られた。イスラム式の土葬だった。首都フリータウンからは、保健衛生省だけでなく、国際機関、各国政府援助機関の長い車列がカンビアに続く130キロの一本道に連なった。彼の死は悲劇でありまた矛盾でもあったが、その偉大な功績に敬意を表したい。
 
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ガンビアに続く車列