Case#2


 
物心がついたときには、すでに外国への関心をもっていた。乾燥した大地に、自分とは異なる容姿の人が憂いを帯びた表情で佇んでいる写真に心を惹かれたのが最初だと思う。成長するにつれ、外国に行ってみたいという気持ちを順調に(?)高めていき、遠い親戚が外国に住んでいると聞いたときには、行きたい行きたいとしつこく言って、母親に困り果てた顔で断られたことを覚えている。
 
外国に対する興味が、国際協力と結びつくきっかけになったのは1993年、カンボジアで国連選挙監視ボランティアとして働いていた中田厚仁さんが現地で殺害されたニュースであった。まだ高校生だった私は、善意で危険な地域に行ってその国のために活動しているのに、なぜ殺されなければならないのかと、すごく単純な思いを抱いた。一方で、自分も外国に行ってみたいと長年思ってきたけれど、そんな理由だけなら、わざわざ行かなくても・・・という疑問もあり、もやもやした気持ちにもなった。そして、大学では国際関係を学ぶことを決めた。
 
多少なりとも大学で学ぶうちに、平和である(武力紛争などがない)ことや幸せに暮らせることは、非常にありがたいのだということ、そして純粋に、これらを手にしていない人々も、平和で幸せに暮らせるようになったら良いなと思うようになった。また、そうしたことに仕事として携わることができたら、自分もまた幸せかなと考えた時、中田さんの想いが少しだけ分かったような気がした。
 
かくして、困難な状況にある人々の生活改善に協力することに、仕事として関わるようになった。AMDAの駐在員として、初めて現地に駐在したのは、中田さんが働いていたカンボジアだった。
 

 
現地の人々と一緒に仕事をしたり、住民と話をしたりする中で多くの気づきを得ることができ、また彼らに大いに助けられもした。まさに、AMDAグループの「人道援助の3原則(1.誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある、2.この気持ちの前には、国境、民族、宗教、文化等の壁はない、3.援助を受ける側にもプライドがある)」を、身をもって体現した時間であった。今振り返っても、この経験こそが幸せであり、私の原点であると思っている。
 
海外事業運営本部 林裕美