歌が繋ぐ日本とインドネシア/本部インドネシア事業担当 西野義崇

2015/10/13
8月、私はインドネシアで現在実施中の酪農支援事業をモニタリングするため、南スラウェシ州シンジャイ県に滞在していました(インドネシア事業についてはこちら)。もちろん、現地で奮闘する三瓶スラウェシ友好促進センターの専門家と、酪農家の皆さんの様子もお伝えしたいところですが、その様子はニュースレターで詳しくご紹介していますので、今回は、インドネシアでの意外な感動について書きたいと思います。

事業地の西シンジャイ郡でのある夜、食後のコーヒーを飲んでくつろいでいると、ギターをつまびき、優しく歌う声が聞こえてくるではありませんか。歌っていたのは、通訳として活躍している現地スタッフのモニカさん。日本の大学への留学経験もあり、流ちょうな日本語と日本文化への理解が深い彼女は、日本人の専門家とインドネシアの人々の橋渡し役として無くてはならない存在です。

聞き覚えのある、優しい曲。Kiroroの『未来へ』を彼女は日本語で 歌っていたのでした。ちなみに、彼女が一番得意な歌は、Yuiの『Goodbye days』 。皆様に彼女の歌声をお届けできないのは残念ですが、本当に染み入るような美しい歌声は、その夜を温かな光で包み込むようでした。モニカさんに加え、現地 技術スタッフのスールくんもギターを手に取り、日本語、インドネシア語を混ぜて歌います。周囲の人々も彼女たちの歌声に聞き惚れています。遠く海を隔てた 日本とインドネシア、それも首都ジャカルタや地方都市マカッサルなどから遠く離れたこの西シンジャイの地で、互いの文化が邂逅する。その事に私はいたく感動したのでした。

インドネシアでは他にも多くのJ-popが人気ですが、中でも最も有名な日本の歌は、1985年頃に紹介された五輪真弓の『心の友』。街中でも私たちが日 本人だと分かると、「『心の友』を歌ってくれ!」とリクエストされたり、流しのギター弾きや飲食店のピアノマンが気をきかせて『心の友』を演奏してくれた りするほど、発表から30年近くたった現在でも世代を問わず人々に愛されている曲です。現在では、JKT48が活躍しているのをご存じの方も多いでしょう。また、9月にはジャカルタで「アニメ・フェスティバル・アジア・インドネシア 2015」が開催され、日本の多くのアニメソングも好評を博したそうです。

こうして見てみると、インドネシアがより身近な国に思えてきませんか?

通訳として大活躍のモニカさん。小さな体でエネルギッシュに働いてくれます。日本の歌をよく知っています。
通訳として大活躍のモニカさん。小さな体でエネルギッシュに働いてくれます。日本の歌をよく知っています。

技術スタッフのスールくん。彼は私に真っ先に覚えたての日本語で自己紹介してくれました。
技術スタッフのスールくん。彼は私に真っ先に覚えたての日本語で自己紹介してくれました。