理事長ブログ「うみがめ便り~ウミガメも山に入る(第三章)」

2021/04/08

ありがたいことに、授かった魔法のじゅうたんの効力(詳しくは第一章を参照下さい)は、2021年の今も維持されていて、普段は海を生活圏とする私の、森へのアクセスを可能にしてくれている。コロナ禍にあって、移動の制約を自身に課している関係上、あちらこちらの浜辺に上陸するわけにもいかない。近場の観光資源を堪能するマイクロツーリズムにあやかり、もっぱら近所の海岸線から目立たぬよう上陸することを心掛けている。
 
アムダマインズのニュースレター2020年の秋号に「ウミガメも山に入る(第二章)」を寄稿し、林野庁が定めた水源の森百選に触れた。その中で、京都という特別な場所に位置しているがために、過去の日本を見つめ、支えてきた鞍馬の森について言及した。この森を水源とする鞍馬川は、山の西側を流れる貴船川と出会い、やがて鴨川となる。そして出町柳辺りで高野川と合流し桂川に変わる。その後木津川や宇治川と合流し、ついには淀川となる。森の木々を震わせ大地を走る雨風にも押され、大量の水はいくつもの大橋や新橋をくぐり抜け大阪湾に注がれる。そしてその後、潮流によって瀬戸内海への旅を続けることとなる。
 
こうした水の処世は、太古の昔から近畿圏の生態系と人の社会を支えながら、壮大なロマンあふれる歴史小説のプラットフォームをかたち作る一翼を担ってきた。他方、史実はロマンとは対極の悲惨な出来事をも数限りなく包含している。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」の一節で始まる平家物語は悲哀を語る代表例とも言える。
 
連想ゲームの如く、鞍馬山から湧き出た水は、鞍馬天狗、牛若丸(源義経)、源平の合戦につながり、ウミガメを鞆の浦へと導いてゆく。
 

のどかな鞆の浦港

 
鞆の浦と言えば、明智光秀の本能寺の変に影響を与えたともいわれる足利義昭の鞆幕府や、坂本龍馬が中心となって長崎に設立した亀山社中が借用したと伝えられている「いろは丸」の沈没事件など、大河ドラマを待たずとも、歴史舞台の重要なひと幕に複数回登場する。驚くべきことに、21世紀以降の岡山市における大発見によって、光秀の旗揚げに係る史実が覆されつつある。また坂本龍馬が調達し、いろは丸に積載された物資の多くは、岡山県笠岡市沖の海中にあり、いまだに引き揚げられていないとのこと。不都合な史実が隠されているのかも知れないなどとうがった見方をしてしまう。
 
さて、話を少し戻すと、鞆の浦のある鞆町は、広島県沼隈郡に属していたが、1956年に福山市に編入された。沼隈郡には平家谷と呼ばれる場所があり、源氏の追手を逃れた平家の一団が安息を求めて住み着いた場所の一つとされる。宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」の舞台とも言われるが故に、今でこそ、古い町並みが残る風光明媚な癒し系観光地の代表格であるが、一本裏道に入ると、神社、寺院、墓地が多数あり、歴史の重さ、畏れと恐れの両方を感じる町でもある。
 
古い街並みが残る鞆町

 
福山市周辺は、もともと備後国に位置し、東西勢力の狭間で長く緊張が続いた地域であるが、江戸時代以降、福山藩による統治が確立した。現在は、広島県の一都市でありながら、経済圏としては岡山県側に重心が偏っているとも言えなくもない微妙な位置取りであるが故に、ある種の緊張状態が存在している。例えば、各県に拠点を置く金融機関同士が福山市で商圏を争っているかと思えば、流通業界では岡山・倉敷への顧客流出を食い止めるためのキャンペーンを共同展開するなど、その熾烈な商戦は、戦国時代を彷彿とさせる。
 
ウミガメはそんなことを考えながら鞆町の小道を進んでいたが、瞬間的に首を甲羅の中に隠さざるを得ないものに遭遇した。本来そこにあるべきものではないが、過去の悲劇がそれを存在せしめたのであろう。ウミガメが進む小道の突き当たりの空間に現れたのは、戦国武将の一人、山中鹿之助(鹿之介、または幸盛)の首塚であった。また一つ、ウミガメは自身が山に入らねばならない理由に直面したのだった。(第四章に続く・・・)
 
福山藩の栄華をしのぶ福山城