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実りの秋、2年ぶりの鎌倉、四方よし

2009/9/20

 
実りの秋を迎える稲穂

岡山市に移り住んで10年が経つ。岡山駅周辺部の道路は道幅も広く、今年4月に政令指定都市に移行したそれなりの街ではあるが、郊外にはまだ豊かな自然が残っている。平野部には田畑が広がり、丘陵地は樹木で覆われている。川や用水路にはコブナやハヤ(場所により名称が変わるらしい)が群れて泳いでいる。
季節の移り変わりは、空の色、木々の葉の色や匂い、稲の成長度合いなどから感じとることができる。「生きてるなー」と感じる一方で、自身の生活が自然と直結していないことに一抹の淋しさを感じる。自然の恵みを直接受け取るような経済活動には携わっておらず、自然へのお返しも全くできていない傍観者である。それでもなお、近所の田んぼの稲穂が頭を垂れつつある状況を見てわくわくしている。
今年は長雨、冷夏、また台風などの影響もあり、農家の方はさぞ心配なさったのではないかと思う。ただこのところの天候は素晴らしく、「晴れの国・岡山」の名誉を回復することが出来たように思う。近所では「朝日」という品種が栽培されているようだが、朝日を浴びて一面が黄金色に輝く日も近い。

すべての演奏者がステージに上がったコンサートフィナーレ

さて先週の日曜日(9月13日)、設立10周年を迎えたAMDA鎌倉クラブが主催する11回目のチャリティーコンサートに出席するため、2年ぶりの鎌倉(大船)へ出かけた。
常々頭が下がる思いである。事前の様々なご準備のあれこれを推察し、また当日の慌しい段取りを大勢のボランティアの方々がこなされている様子を拝見した。
一方で、演奏や舞踊のパフォーマンスを地元の人々と楽しみながら披露するという姿に、息の長い取り組みの極意を垣間見せていただいた。もちろん、チケットの販売に大変ご苦労なさったということもお伺いしており、心より御礼申し上げたい。
チケットとグッズの販売で得られた収入は、コンサートの開催に要したさまざまな支出を除いて、ホンジュラスの首都テグシガルパの貧困地域におけるHIV・エイズへの感染予防対策と、エルパライソ県で実施されている母子保健事業に活用させていただくことになっている。
少しでも、地域住民の力になりながら、本来防ぐことのできた母子の死の背景にある不条理な環境を正し、本来課せられる必要のない負担を軽減することができればと思う。真心を込めて、適切に育てた稲が穂をつけるように、真摯に、効果的な活動を実施すれば成果は必ず発現する。そんな信条を持ち続けたい。

コンサート終了後、鎌倉クラブのメンバーやステージに立たれた演奏者の方々との懇親会に望み、開演の際と同様、ご挨拶する機会を頂戴した。
演奏、舞踊に対する御礼を申し上げた後、「四方よし」という言葉について述べさせていただいた。近江商人の信条である「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」という言葉は有名である。最後の「世間よし」は、地縁や血縁のない異境へ出かけて商売を発展させていくには、私利を貪ることなく、地域貢献を考えなければならない。利益はその結果ついてくるものであると考え、その地域の人々を大切にして信頼を獲得することが肝心であることを説いている。

コンサート会場のホールで行われた海外グッズ販売

コンサートに当てはめると、三方よしとは「主催者であるAMDA鎌倉クラブ(+AMDA社会開発機構)によし、演奏者の方々によし、来場者によし」といったところであろう。四方と言ったからには、四方を構成するもう一方を加えなければならないが、もちろんそれはホンジュラスの受益者である。
近江商人が「三方よし」を唱えて日本国内の行商に精を出した江戸時代はそれ(三方)で良かったのではないかと思う。しかしグローバル化が進み、海外で起きた政治経済の動きが日本社会に多大な影響を与え、また日本の消費者一人ひとりの無意識な消費行動が、大きなトレンドとなり、地球の裏側の人々の生活に正負の影響を与えるような時代になると「三方よし」では不十分で、やはり「四方よし」でなければならないと考える。
三方によって構成される図形、つまり三角形の内角の和は180度である。しかし地球が円満になるためには360度、あと一方を含めて(内角の輪が360度となる)四角形、つまり四方でなければならない。こんなことをお伝えしたと思う。

確かに、今の時代、環境問題然り、貧困対策然り、地球の向こう側に意識のアンテナを向け、四方よしを追求することが大切である。そういう意味で、我々の仕事の一つは、海外における活動地域の人々の生活や社会環境、そして日本とのつながりなどをお伝えする四方よしの伝道師になることではないか…、こんなことを考えながら、演奏会場となった鎌倉芸術館を後にした。

 
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果敢における大事

2009/9/5

 

6月のことになるが、緬甸果敢第一特別区(ミャンマー・コーカン特別区)へ出張し2週間ほど滞在した。
同地区については、すでに事業報告会やニュースレターなどで何度か紹介させていただいているが、当法人の事業地の中でも色合いが顕著な場所だと感じている。

ラオカイ市の風景

活動実施村を訪問するため、老体にむちを打ち、フーフー言いながら山道を歩いていると、現地スタッフから「あの尾根の向こうは中国ですよ。そして老街(ラオカイ)市はあっちの方ですよ。」と告げられる。特別区の中心地であるラオカイ市は、他の場所と同様、人が住み、市場があり、経済活動が行われ、音楽が鳴るごく普通の町ではあるが、異なる文化や言語がある種の緊張感を持って混在する特別な場所でもある。
伝統的な暮らしを続けている少数民族が多く居住する中国国境沿いの山岳地帯であることに加え、紛争地でもないのに「当局」機能が2つあることもそう感じさせる理由の一つかも知れない。
2つの当局機能とは、ミヤンマー政府と果敢特別区中央委員会である。和平合意締結以来、果敢側に自治権が付与されてきたため、また人口の殆どはミャンマー語を解さないので、ミャンマー政府側も少し遠慮がちに統治している様子である。一般のミャンマー人もどことなく遠慮がちにそぶりかのように見えるのは気のせいだろうか。

ラオカイ市にて

同特別区は、ミャンマーに属しながら中国の圧倒的な影響を受け、よって普段使用される現地通貨も元である。また電気は中国から供給され、携帯電話も中国企業によるサービスが利用されている。さらにこの地で収穫されたほとんどの農産物は、その販路を中国側に依存している。
インフラの整備状況もここ数年の間にまさに始まったばかりで、すべての郡が電化されたベトナム北部の山岳地域とは30年程の開きがあると感じる。
ミャンマー側へ通じるためには、税関や検問所を抜けなければならず、中国側へはほぼ自由に行き来できることを考えると交易や輸送に携わる人々にとって大きな負担になっている。

人口15万人とも16万人も言われる同地域は、2002年までケシの一大栽培地であった。したがって、アフガニスタンやコロンビアなどとも共通の問題を抱えている。それが故に、ケシ栽培に依存しないこの地域の開発や発展は、遠いアメリカやブラジル、そして日本などの社会平和とも直接的、間接的なつながりを持っている。

歴史を遡ると、第二次世界大戦中日本軍がこの地に兵を進めている。もちろん、戦争という名の下に残虐な行為が繰り返されため、抗日記念碑なども建立されている。

ラオカイ市にて

さて8月30日、日本が衆議院議員選挙で盛り上がる中、産経新聞に一つの記事が掲載された。
コーカン特別区で起きた一連の事件に関する記事で、見出しは「一万人超が中国避難・総選挙控え少数民族に圧力」であった。北京とシンガポールに駐在する特派員による取材記事であったが、過去の歴史にまで記述が及んでおり、字数制限がある中で良く書けた内容だった。さらに、東京の記者が同地区で事業を展開する当法人に取材をし、特派員の記事を補足するなど、記事作りに対する入念さが伺えた。しかしながら、本件の一因はコーカン当局側の内紛にあると語られていたにもかかわらず、その情報が抜け落ちており、ミャンマー政府と少数民族が対立している構図だけが浮き彫りにされたという点で偏りが感じられた。

いずれにしても、ミャンマーでは来年5月に総選挙の実施が予定されており、その準備段階で、これまで比較的安定を保ってきたミャンマー政府と国境地域に住む少数民族との間に、少なからぬ緊張関係が生まれつつあることを推察するに難くはない。これはコーカン地区だけに限らず、隣接するワ地区やカチン地区においても言えることである。
ミャンマー政府がこれらの課題をどのように乗り切っていくのか、そして日本政府や国際社会がどのように知恵を絞り協力していくことになるのか注目していきたい。もちろん、当法人も微力ながら人道支援と開発協力を続け、同地区の安寧に貢献していく所存である。

実は、同地区で緊張状態が続いた10日あまり、当法人のスタッフをはじめ、現地で活動する国際NGOの職員は、WFPのラオカイ事務所に避難する事態となった。
ミャンマー側のラショーへ抜ける道中で安全が確保されなかったためすぐに退避することはできず、いわば缶詰状態となった。幸い事態が収束したため、9月3日にラショーまで移動することができ事なきを得た。当法人のスタッフも全員無事でいることが確認できた。
WFPコーカン事務所の方々に心より御礼申し上げるとともに、ご心配をおかけした日本国大使館や国際機関の関係者の方々に感謝申し上げたい。またヤンゴン事務所で眠れぬ夜を過ごした職員の方々にお疲れ様を言わせていただきたい。そして最後に、コーカン特別区でこれからも続く当法人の人道支援に対し、皆さまからの温かいご理解とご協力を賜りたいと願う。

 
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