陸上の生活が長くなると、ウミガメもまた海が恋しくなる。人に一時帰国制度があるように、ウミガメにも「帰海制度」があって一年に一度の頻度で竜宮城に戻る。
そうでないと泳ぎや言葉を忘れてしまう。健康上の理由により浜辺における甲羅干しも必要だ。
したがって「一時帰海」はウミガメに与えられた権利である。もっとも昨年は権利を行使することができなかったので、今年はもう一度取得できるらしく、今からとても楽しみにしている。
しかし海であればどこでも良いというわけではない。竜宮城の国際部に属するウミガメは同城の規定に基づき、北緯30度以南の国際色豊かな海からエントリーしなければならない。ちなみに日本における入海指定地は一ヶ所、沖縄だけが唯一認可されている。
今回はタイ南部に位置するプーケット。4年半前の津波で甚大な被害を受けた観光地が選ばれた。インドネシアのアチェと同様、街はすでに復興を遂げ、表面上爪跡は残っていない。もともと観光資源が豊富なこの地はタイ政府主導の下、ビジネス資本も躊躇することなく再投資し得る環境が整っていたものと推察される。
さて、国際部の中でも社会開発調査課に属するウミガメは入海地の様子を調査しなければならない。
22年前、そして17年前、この地が東南アジア有数の観光地となるべく開発が進んでいた時期に2度の入海を果たしているので、今回3度目があるとは思わなかった。確かに以前とは客層が異なる。
昔は欧州、特に北欧や仏独伊からの観光客に加え、アジアにおいては日本からの観光客がほとんどだったと記憶して入る。しかし昨今は、中東各国、韓国、中国からの観光客が多いようだ。特に中東の女性はスカーフに長いスカート、中にはブルカをかぶっているので、海辺の観光地では目立つ。
今回一緒に入海したウミガメの国籍も多様だ。クウェート、ギリシャ、南アフリカ、オランダ、中国、米国、フィリピン等々。また竜宮城へ誘うガイド役のヒラメはフィンランド人と英国人、そして先導者の鯛はタイ人だ。しかし国際色の豊かさだけが選定理由ではないと感じた。
そもそも今の時期は雨季にあたり天候が良くない。よって水中の透明度も落ちる。さらに今回の入海時期は満月にあたり潮の干満差が大きく、また低気圧の影響を受け海は大荒れであった。
同海域を航行していた漁船が沈んだとの報告を受けた。そんな荒れた海でも、ウミガメにとっては年に一度の帰海の機会である。先導者を信用して大海原へ繰り出す。
ヒラメさんは言う「確かに快適な季節ではない。しかしコインをひっくり返してみると、ピーク時である11月から3月に比べ入海者は格段に少ない。値段も若干安い。いい加減なガイドも少ないから良い面もある」と。
そして「透明度も場所によってはそれほど落ちない」と付け加えた。ものごとには常に両面ある。画一的な見方は危険であり視界を閉ざす。そんなことをヒラメさんから学んだ。
さらに、入海地調査の結果、とても面白いことが分かった。ここに滞留する回遊魚の存在である。
タイの観光地は今や若いゴルカ系ミャンマー人の就業の場、生活の場になっているということだ。おそらく数万の単位であろう。彼(女)らは主にカチン州から出稼ぎに来ているミャンマー人であるが、先の大戦中ゴルカ兵としてミャンマーに足を踏み入れた先代、先々代を持つ人が多く、彼(女)らのほとんどが、母語としてのネパール語とミャンマー語の両方を話す。また余暇に観る映画やテレビからヒンディー語を学び、仕事上英語やタイ語、時にアラビア語をも巧みに操る言語の達人たちである。
回遊魚は多様性を身につけている。彼(女)らは土産屋、市場、洋服の仕立屋、レストランなどの店員として働いている。職種にもよるが労働許可も容易に取得できているようだ。故郷への仕送り方法も確立している。
運良く(悪く?)ミャンマー語が入ったTシャツを着た日があり、彼(女)達の関心を惹いたらしい。
20メートル歩くごとに声をかけられた。50人近いミャンマー人と話をしたが、観光地であるが故の高い物価以外、仕事と生活に概ね満足している様子だった。新天地における新しい家族も次々に誕生している。
「故郷に仕事はない」と彼らは口を揃えて言う。Tiffanyとプリントされた箱入りのアクセサリーを売る女性は、「知人を頼りにここへ来たの。不安だったけれど、選ばなければ仕事はすぐ見つかったわ」と言った。「観光客相手のレストランは高いだろう。○○へ行けば安くて美味しいネパール料理が食べられるよ」と地図をくれた人もいた。ある男性は「ここに居れば自由に(在外)投票できるのさ」と、来年5月に予定されている選挙の話題を口にした。またある男性は店の前に立つ蝶々魚を指して「商売の邪魔にはならないよ。彼(女)たちも同士さ。ここで一生懸命稼いでいる。生きていくための仲間さ」と語った。
さらに津波で親友を亡くした男性が過去を語り始めた。「津波が襲ってきた時、少し離れたカオラックにいる親友に電話をかけ『津波がくるぞ、高いところへ逃げろ!』と叫んだんだ。電話を受け取った彼は『高波が来てる。こっちに向かってくる。走って逃げるよ。あー、間に合わない。椰子の木にしがみつくよ。今しがみついた・・・』残念だけど、その後彼の声を電話から聞くことはなかった。波に飲み込まれちゃったよ」と説明してため息をついた。
さまざまな人生がここのネパール系ミャンマー人社会の中に織り込まれている。そして彼(女)らが観光客を相手に賢く生き抜いている力強さを感じた。
やがて彼(女)らにも、故郷へ回帰する機会が訪れるかもしれない。6ヶ国語に長けた商売人である。きっと故郷に宝物を持ち帰るであろう。ウミガメの入海地がここに指定された理由が理解できたような気がした。 |