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NGOが歩む道は長く遠い。しかし道は続いていると信じたい…。
この世に申し込み用紙というものがある。商品購入、口座開設、アンケート返信などの際に職業を記入する、または選択肢に○をつける欄がある。会社員、公務員、自営業・・・。
だがNGOで働く職員は既存の職業分類に示されない「その他」に○をつけることになる。強いて挙げれば団体職員であるが、そのカテゴリー名が表示されていない場合が多い。NGO/NPO職員、あるいは非営利団体職員などという選択肢があることは稀である。まだ一般的ではない。そして当分の間一般的になることはないであろう。
先日、JICAが主催する研修の第一日目に、組織の責任者という立場で参加することになった。AMDA社会開発機構から2名の職員が、組織強化の一環として、プロジェクトマネージメント、組織マネージメントというテーマで研修を受けるにあたり、一つの条件が提示された。それは、研修の第一日目に、参加者本人に加え、組織の責任者も参加することである。この研修が個人のためではなく、組織のためであることの意義を責任者にも実感してもらおうという明確な意図があるから、とのこと。
実は、研修参加者を選考する過程で、JICA側から一つ釘を刺されたことがある。「応募者の方は海外でご活躍されていますが、この研修を受けた後、辞めてしまうのではないでしょうね!?そのような方はお断り申し上げたいのですが…。」
おそらく、NGOの海外勤務を終えたスタッフがすぐ退職するという例が後を絶たないのであろう。
海外で仕事をしていると、各国の大使館、国連機関、国際援助機関などの組織から、いわゆる高給をもらっている人々と日々接することになる。彼らの多くは運転手付きの自家用車を持ち、警備員付きの邸宅に住み、子どもをインターナショナルスクールに通わせる。高給だけでなく、2ヶ月に一度の慰安旅行がもれなくついてくる組織もある。現地一般住民の目線からざっくり言ってしまうと、グラハム・ハンコック氏の書『援助貴族は貧困に巣喰う(Lords of Poverty)』が指摘する「援助貴族」としての生活を享受している人々がいる。
一方、本邦NGOで仕事をしている邦人スタッフの生活は一般的に質素であり、活動国の政府職員と同じくらいのレベルにある。こうしたことに問題はない。むしろそのレベルの生活に満足をしなければならないと考えているくらいである。しかしあえてひとくくりにした場合、同業者と思しき人々との圧倒的な格差に驚愕を覚える日々を味わうことになる。泰然自若と構えていればよいとは言っても、その格差を前にして、自己の存在意義と将来に不安を覚えることも無理なからぬことである。悟りの境地に至るのは並大抵のことではない。
さて、話を元に戻すと、上記の組織強化研修は、NGOの能力強化である。組織強化は人材の強化であり、強化された人材が組織に残ることが前提となる。つまり組織強化とは、人材確保のための環境整備である。だから、参加条件の一つに先述のくだりがあったのである。ところが、その研修の講師陣の多くは、かつてNGOに所属していた方達であり、今はJICAや大学などに所属しているとのことである。穿った見方をすると、講師陣は、彼らの生活を支えることが困難であった(研修の趣旨を正しく理解すると)組織力の弱いNGOの出身者であり、その方たちがJICAや大学、あるいは企業に身を置きながらNGOの組織強化(良き人材がNGOに続けるための環境整備)を口にすることに大きな矛盾があるのではないか?と考えてしまう。
『Putting the Last First』や『Whose Reality Counts?』などの書を著したロバート・チェンバース教授は、援助に関わる側の「上を見る傾向」あるいは「中央志向」を、参加型開発を阻害する要因として問題視している。本の題名の副題に「変わるのは私たち」という副題がついている所以である。
実を言うと、講師陣は皆素晴らしい方たちばかりである。そして彼らが所属していたNGOは、決して脆弱なNGOではなく、むしろ有数のNGOである。従って私がここで問題視したいのは、そのような素晴らしい講師陣がNGOの第一線で仕事をすることができない現状である。彼らが中央志向であるかどうかは分からない。ただ、NGO現場の第一線から退いていることだけは確かである。50を超えるような年代の彼ら(失礼!)が、事業国の駐在代表者となり、豊富な経験や知見を持ち込み、そして援助関係者を巻き込み、質の高い事業を先導してこそ、国際協力NGOの評価が高まるというものである。そしてそのプロセスから学んだ次の世代が団体に残って活躍してこそ、組織能力の本当の強化は可能となる。
道は遠い。限りなく遠い。しかし道があることを信じなければやっていられない。
がんばろう、日本のNGO!
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