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前回の原稿で、日本のNGOの財政基盤が弱いことに触れた。
弱いことは悪いことだ、と単純に述べているのではないことをまずはお伝えしたい。その上で、今回はむしろそのことがもたらす結果を、相互依存の傾向が一層強まる国際社会の中でしかるべき立場を維持したい日本の国民としてどう考えるべきか、という観点から触れさせて頂きたいと思う。
政府拠出のODA予算は、ここ数年減少しているとはいえ、7千億円を超えている。
もっとも(元々返済を条件に融資されていた)国際協力銀行の回収金から充てられる資金を含めると、事業予算は1兆5千億円規模となる。国民一人当たりで換算すると、1万2千円になろうか。
一方、政府によるNGO支援の合計額は50億円を前後する程度である。米国では、政府(国際援助庁)がこのレベルの予算を一つの団体に供与することも稀ではない。
単純な比較と断定は避けたいが、おおまかに言って、日本がODAを通じて行ってきた海外援助の底流にあるのは(主に産官が利する)国益の追求と、国連重視外交である。一方、欧米の援助は、人道精神を追求、普及するために不可欠な手段、また外交を戦略的に進めるための効果的な手段という2つの役割が微妙に混じり合ったものであるようにも思える。もっとも、日本のそれと欧米のそれとの間にスパッと一本の線が引けるほど明確な違いがあるわけではない。
ただ前者に市民社会の代表であるNGOの大きな出番は見当たらないが、後者にはNGOが戦略的パートナーとして関与し得る空間が広がっているように見える。
ここ数日、「なぜAMDAはミャンマーの被災地にいち早く医療チームを送り、診療活動を開始することができたのか?」という質問を、メディアや海外援助に関係する多くの方から受けてきた。
答えは至極簡単で「そこに居たから」である。しかし「そこに居続け得たこと」は、その答えほど簡単ではない。
いずれにせよ、AMDAはミャンマーの地で、日本政府をはじめとする多くの組織や個人の支援、協力を得て、過去13年間活動を続けてきた。その中で、事業の質を向上させ、高い能力を備えた素晴らしいスタッフが育ち、現地の政府機関、特に保健省や国境省との良好な関係を維持し、信頼関係を醸成することができた。今回の被災地支援活動は、過去のそうしたプロセスと成果が裏付けとなって実施されている。
日本の緊急援助隊(医療チーム)のミャンマー入りが遅れた。
政府間協力は、ホスト国政府の要請が前提となっており、当初ミャンマー政府は外国からの援助要員の入国に慎重な姿勢を見せたためである。もっとも、被災地には日本の病院にあるような検査機器は十分揃っておらず、また患者である地元住民はミャンマー語しか解さないであろうから、日本から医療従事者を派遣しても、慣れない地で苦労しているはずである。医療行為に限って言えば、その効果は限定的なものとなることは容易に推察できる。
ならばなぜ、莫大な費用をかけ、チャーター機まで飛ばして日本人を派遣するのであろうか・・・
きっとミャンマー政府も同じ疑問を持つに違いない。AMDAグループの代表である菅波茂氏は、「援助を受ける側にもプライドがある」と説き、また「理由のない支援は警戒される」と忠告する。ミャンマー政府を批判する前に、今一度考えてみる価値があるのではないだろうか。
さて、話を元に戻したい。
ここにおける課題は、2つある。NGOが、日本政府(外務省)の戦略的パートナーとなり得るか、そして外務省は、NGOを戦略的パートナーとして位置づけることができるか、ということである。この課題は、コインの裏表とも言える。
ミャンマーにおいて、被災後時間を経ず活動を開始した日本のNGOは、AMDAだけではない。
BAJ(ブリッジ・エージア・ジャパン)やAAR(難民を助ける会)など、活動規模の大小はあるにしても、日本政府が動き辛い段階で、現地職員を動員して救援支援を行っていた。残念ながら、日本大使館にNGOを支援する準備や余裕はなかったようだ。比較的早い段階で、豪州政府が3億円の資金供与を発表し、そのうち1億円をミャンマーで活動するオーストラリア系NGOへ供与すると発表したこととは対照的である。
誤解が生じてはいけないので明確に申し上げるが、「NGO向けに資金を供与して欲しい」と言っているのではない。
資金供与は、上記2つの問題が整理された後の帰結であると考える。むしろふんだんな資金を抱えているがゆえに、時に自立発展性を無視したような他国のNGOや、非効率な事業運営を行う国際機関を見てきたので、その危険性についても理解しているつもりだ。論点は、援助の思想であり、外に現れる姿勢である。
日本国憲法の前文には、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と書いてある。
そのために努力することは、政府であれNGOであれ、あるいは一般の市民であれ同じである。
それが故に、前文の最後には「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と書いてある。
NGOのスタッフである日本国民も、国家の名誉にかけて動くのである。この思想を支えるための戦略的な枠組みが、国際協力、そして緊急救援において必要なのではないか。
ある人は、JICAがあるではないか、JPF(ジャパン・プラット・フォーム)があるではないかと言う。
しかし、どちらもが動き難いケースをどう克服すべきかに関する明確な答えは用意されていない。なぜなら、その源流に手続き論を超えた援助哲学がないからだと思うのは、私だけだろうか。
少し大胆に述べてしまった。しかし、(まだ被災後1ヶ月という段階であるが)ミャンマーという大変親日的な国で起きた災害に対して、様々な制約があったとはいえ、顕著なインパクトをもたらす援助が行えなかったことについて、日本国民としてとても残念に思う。
こうしたことを契機に、政府とNGOの、それぞれが持つ役割と両者の戦略的な関係について、より建設的な議論が進み、積極的な試行錯誤が行われることを願っている。その結果、海外援助に関するパラダイムの変化が、日本の国民にとって、あるいはアジアやアフリカの隣人にとって効果があるのかどうか、見えてくるのではないかと考える。
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