太陽アプローチの真実

 
 

夕立の音を聞きながら

 
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2008/5
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太陽アプローチの真実
2008/5/26
 
巡回診療のようす
サイクロン「ナーギス」によって被災したミャンマーから帰国して10日あまりが経過した。
その間、アフリカンフェスタへの参加、取材や記者会見への対応、関連会社の決算、世界基金(グローバルファンド)の岡山アウトリーチセミナーへの出席など、少々忙しい日々を過ごすことになった。(特活)アムダの方では、早くから四川省へも救援チームを派遣しているため、地方にいながらにして、報道機関の注目が相応に集まる。
もっとも、AMDAが在京の団体であったならば、報道関係者との関わり方が少なからず違っていただろうと思う。多種多様なメディアからの問い合わせに対応するため、きっと専門の報道官が必要になるのではないか・・・地方に本部のあるNGOで良かったと、半分思う。

しかし、今回のサイクロン報道を見ていると、残念ながらその内容に関して相当な偏向が見られるように感じる。
報道される情報の(商品)価値は、それらに付いている色の度合いや柄によって決まると言っても良い。ただそれが捏造されたものであったり、十分裏を取っていなかったりするなどして不自然さを伴っている場合、敏感な視聴者や読者は不快感を感じる。
こうしたことは、今回のミャンマーに限ったことではないが、メディアは多くの場面において、真実を見極める前に一定の結論を導いて、その結論に都合の良い情報だけを切り取って読者や視聴者(本当はスポンサー?)の前に並べる。ミャンマーの軍事政権は、そもそもサイクロンの前から悪役にしたて上げられていたので、被災者に十分な支援が届いていないという状況は格好の攻撃材料になったに違いない。
そしてすべてがそうであるかのような、大胆な一般化をすることによって、誇張された(歪曲された?)情報の泡が政府の呼吸口を塞いでいった。世界中で、ミャンマー政府を非難する報道が続いた。

巡回診療を受けに来た住民たち

しかし、倒れた木々を除去し、被災地へ食糧を届け、また病を患う住民に対して治療を行っていた政府職員や兵士が多数いたことも事実であったはずである。さらに、都市部に住む市民や芸能人などによる支援の輪、特に若い世代に支援活動の輪が広がったことは特筆すべきではないかと思う。
でもそんなの関係ねーと、あくまでセンセーショナルな報道に走ったメディアが大勢を占めた。ミャンマー政府職員や兵士、そして若い市民の活動にまつわる美談は、日本における報道情報としての商品価値が低かったのであろう。

しかし多くのミャンマー通は、こうした傾向に危機意識を抱いたはずである。フィジカルな痛みを伴わない言葉や映像の「圧力(暴力?)」の行使が、一面においてミャンマー政府を窮地へ追い込んでいったと言えるのではないか・・・一層の不信感という心的トラウマを伴って。

西側諸国や国際機関は、当初政治的圧力によって頑ななミャンマー政府の態度を変えようと試みた。メディアも援護射撃を行った。これはイソップ寓話が示す北風アプローチである。
それに対し、潘基文国連事務総長の訪問は太陽アプローチであったに違いない。ミャンマー政府は、昨日人道支援に携わる外国人要員の受け入れに関し、結果的にこれまでの立場を180度(おそらく90度)転換した。この決定により、援助物資やサービスが、より効果的、効率的に、広範囲の被災地に届けられるようになればと願う。

こんなことなら初めから太陽アプローチを採れば良かったではないかと言う人がいるに違いない。しかし北風がきつかったから太陽が一層暖かく感じることも一理あるはずである。
ミャンマー政府がマフラーを解いた理由は何だったのだろうか。今頃Strait TimesやBangkok Post紙には、その背景に関連した記事が掲載されているはずだ。日本のメディアにも、真実を発掘し、分析を急いでもらいたいと思う。

最後になるが、クンジャンゴン市の農村地域におけるAMDAと保健当局による協働巡回診療チームの活動が3週目を迎えている。
移動はトラクター、船、徒歩である。被災地の僧院や学校の校舎に寝泊りしているので、相当疲れも溜まっているに違いない。彼らを支えているのは、身内や財産を失った被災者への思いと相互扶助の精神である。彼らが診療活動を続ける一方、被災者である村人も、診療チームに精一杯の協力を申し出る。
今、被災地は雨季の真っ只中である。厚い雲を割って、暫し優しい太陽の日差しを彼らにそそいでもらいたいと願う。

 
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夕立の音を聞きながら
2008/5/11
 
被災状況を伝える現地『モーニング・ポスト』紙1
先日の原稿の末尾で触れたように、シンガポールに到着した私は、日本とは別の方向に舵を切った。
結果、私はヤンゴンの事務所でこの原稿を書いている。

この国は、サイクロン「ナギス」によってもたらされた未曾有の惨事に遭遇している。被害状況は、2004年暮れに起きたスマトラ沖地震に匹敵すると描写するメディアもある。
9日18時までの集計で、死者は23,335名、行方不明者は37,019名と公表されている。一部のメディアは、(実勢を把握しているわけではないだろうが)もっと多い数字を推定値として紙面に載せている。

ただし、同国の全地域が被災したわけではなく、日本を例にとると、九州南部が被災したと比喩することが可能な範囲ではないかと思う(南九州の皆様すいません)。ただ、死者と行方不明者を合わせた数は、すでに阪神淡路大震災の10倍に達している。
また、ナギスが直撃したイラワディ管区は、同国の米どころである。まずは同国の米穀供給に深刻な影響が及ばないこと、そして世界的な穀物価格の上昇に拍車がかからないことを願う。

サイクロンが上空を通過したヤンゴンも被災した。街路樹や公園の木々はなぎ倒され、電柱は傾き、家々は屋根を飛ばされた。大木の幹は塀を破壊し、枝葉は道路を塞いだ。電線が地上に垂れ落ち、道行く人の妨げとなっている。燃料価格の上昇に伴い、物資も不足しているのではないかと思い、スーパーへ足を運んだ。
品薄状況と言えるほどではなかったが、被災前より物価は上昇しているようであった。ちなみに、近所のお茶屋さんで売られているミルク入り紅茶は、被災前の一杯250チャット(約23円)から300チャットへと2割上昇し、ご当地風かけご飯は1,000チャット(約91円)から1,300チャットへと3割上昇していた。

それでも街のいたるところで、政府の職員、軍、町内会のボランティアが、倒壊した木々の除去や清掃を人海戦術で行っている風景を見かける。一部には回復が早く、一見被災前と変わらないかのような区域もある。お昼の時間になると、作業をしている人たちが切った幹に腰掛け、持ち寄ったおかずを交換しながらご飯を食べている。そんな風景に出会う。

被災状況を伝える現地『モーニング・ポスト』紙2

一方、新聞に目をやると、ヤンゴン管区南部やイラワディ管区の被災状況を写した写真が連日大きく掲載されている。
「悲惨」という言葉は、こういう状況を指すのだろうと思う。大空襲を受けた跡のようだと、あるメディアは報じていた。

被害状況についてはさまざまな情報が交錯している。一部西側のメディアの論調が極端であるがゆえに、彼らが叫ぶ度に、今はその飛沫の一部が我々にも振りかかってきている状況にある。こうした中、AMDAグループは可能な限りの人道支援を行っている。

被災地ヤンゴンに、雨季が訪れたようである。
この原稿を書きながら、ここ連日夕方になると必ず降りだす夕立の音を聞いている。仏教で言うところの安居の季節であるが、被災された方々はそれどころではないと思う。身内を亡くし、家屋を倒され、食糧を失い、田畑を失った被災者に、十分な支援の手が早く届いて欲しい・・・事態の好転を切に願う。

 
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もうひとつの国際貢献
2008/5/6
 
お釈迦様の生誕地ルンビニの観光ポスター
ネパール滞在の最終日、市内のホテルからカトマンズ(トリブバン)国際空港に向かう車の中、私は、ネパールでは少数派に属する仏教徒の運転手ラマ氏とさまざまな話をしていた。
その名は、あのダライ氏と同じである。ご存知のように、宗教に関する同国の多数派はヒンズー教徒である。しかし、ヒンズー教徒にとってお釈迦様はその一部を成すものであり、大きな対立はないようだ。

さて宗教はどうあれ、カトマンズにおいて私は彼に大変お世話になった。そのことの方が重要である。空港への送迎に加え、日本大使館、JICA、トリブバン医科大学など、訪問先への移動に関し、彼にお手伝い頂いた。

話を続けたい。ラマ氏が仏教徒なので、お釈迦様の生誕地であるルンビニには何度か訪れたのかと尋ねたが、一度きりだという返事が返ってきた。そうだ、一度で良いではないかと考えた。その後アンコールワットを知っているかと尋ねたら、知らない、という答えが返ってきた。私の発音が悪かったのだろうか…。

さて、車がちょうど王宮を通過した頃、確かラクシミはビシュヌ神の妻だったか、それともシヴァ神の妻だったかどうか、そんな話をしていたはずである。王宮を左に見ながら数百メートルほど進んで右折すると、車は多くの航空会社が事務所を構える通りに入った。
「僕はアフガニスタンのカブールで働いていたんですよ。2003年から2005年まで。」
彼がそう切り出したのは、カタール航空の事務所の前に人集りを見つけた私が、「皆アラブ諸国へ行くんだね。
ラマさん、あなたも海外で働いた経験があるんですか?」と尋ねた時だった。

アフガニスタン???…まさかゴルカ兵の如く英軍に従軍?可能性がないわけではない…子ども病院で働く運転手の一人、猛者という概念とは正反対のチャンドラ氏も、かつてインド軍の傭兵として働いていた経験がある。

「ISAFで働いていたのです・・・。」
おおっ、一時日本の政界でも話題に上がったあの有名なISAF…。私の好奇心のボルテージはおのずと上昇していった。以下は私と彼の会話。

ラマ氏 でも兵役ではないのです。
えっ?軍隊でなければ、どのような立場で働いていたの?
ラマ氏 カナダ駐屯軍のお手伝いをしていました。調理、洗濯、掃除とか…。
へー…。で、ネパール人は何人ぐらいいたの?
ラマ氏 えーと、240名くらいだったか・・・。
えっ?そんなにたくさん!? もしかして全員ネパール人?
ラマ氏 はい。国際的なリクルーティング会社がネパールに来て募集をして…
私は運よく合格しました。カブールに駐屯していたカナダ兵は2,100名いました。
(お手伝いさんが10人に一人か・・・)現場では困難が多かった?楽しかった?
ラマ氏 とても大変でした。銃声や砲弾の音を毎日聞いていました。私が働いていた期間に、6名のカナダ兵が自爆テロの犠牲になり、またネパール人も何名か負傷しました。
それは大変だったんだね。彼らは駐屯地にも攻撃を仕掛けるの?
ラマ氏 はい、しょっちゅう。攻撃の度に地下壕に潜りました。真っ暗な中で3時間、6時間、時に一晩中じっとしていました。でも、それなりに快適で、水や食料が備蓄してありました。
でも、ネパール人全員が入れる大きさの地下壕なの?カナダ兵も入るの?
ラマ氏 はい、全員避難できる大きさでした。カナダ兵は地上における各々のポジションに配置されていました。特に9月11日は、タ○バ○による「攻撃の日」と定められていたようなので、かなり激しく長い攻撃が続きました。
そんな厳しい環境の中で2年間も働いていたの?
ラマ氏 はい。でも6ヶ月に一度ネパールへの一時帰国休暇を取ることができました。
でも、なんで皆ネパール人なんだろうね?きっと強靭だから・・・。
ラマ氏 いいえ、ネパール人を雇用するのは安いからです。それは分っています。
どうして2年を超えて仕事を続けなかったの?
ラマ氏 選挙が実施され、カブールに新政権が樹立し、カナダ軍がカンダハルに移動することになったからです。カンダハルは危険地帯なのでネパール人は従軍せず、全員帰国することになりました。


話はもう少し続くはずであったが、車がいつの間にか空港の駐車場に滑り込んでいた。私は、異国で試練を経験した彼が母国に戻り、AMDAの活動に参加してくれていることを誇りに感じた。
彼が携わった仕事が国際貢献でなければ何と呼べばよいのであろうか。人生いろいろ、国際貢献いろいろ。

シンガポールへ向かう機内の新聞にはミャンマーで発生したサイクロンの被害が大きく報じられていた。
その記事を読みながら、私はネパールを後にした。そして私にとってのもう一つの国際貢献が始まろうとしていた。
 
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逆説の…

2008/5/1

 
栄養失調と脱水症状を呈した乳児と母親の手

今、私はブトワールというネパールの地方都市の旅館でこの原稿を書いている。目の前にあるテレビに映るBBCのニュースからは、エベレスト登頂を目指す登山家がベースキャンプから先へ進むことを許されず、それゆえシェルパ達は仕事にありつけず、またジャーナリストが締め出されるなどと、混乱が起きていることを報じている。
すべての原因は、ヒマラヤの尾根を越えた反対側で起きている聖火リレーである。
私の理解が間違っていなければ、こうした制約は、チベット側にある聖火を守るため、ネパール側から反対派が侵入することを阻止するための措置である。
これを「とばっちり」と呼ばずに何と呼べば良いのであろうか。アスリート達が4年に一度のオリンピックを目指してトレーングを重ねることと同様、今ベースキャンプにいる登山家達も、この時期にエベレスト登頂を目指してお金を集め、またトレーニングを重ねてきたのではないかと察する。まったく気の毒なことである。

さて前置きが長くなってしまった。
ご存知のようにブトワール市にはAMDAの子ども病院がある。だが氷雪を頂くヒマラヤとは反対側の平野部に位置し、一年で最も暑いこの時期の気温は日中40度を越える。
驚いたことに、病院の事務方スタッフは9時から4時の間に5リットル近い水を飲んでいる。1.5リットルのボトルに入った水を3回お代わりするのである。まさかと思ったが、エアコンなど望めない仕事場で、天井に設置された扇風機を回していると、皮膚から蒸発する水分も多いのであろう。大量の水を摂取することがすでに習慣になっているようで、そこには水分の出入りに関する個々人の方程式がある。

病院内も暑いが、患者もその家族も天井ファンでなんとか凌いでくれているようである。
しかし最近は政府による計画停電の時間が長くなり、燃料費が高騰する中、発電機を使用せざるを得ない病院には痛い出費が続いている。不幸中の幸いは、2001年に国際協力財団からご支援頂いて購入した自動制御装置付きのイタリア製発電機が、今も順調に作動していることである。おかげで手術を中断しなければならないような状況に陥ることはない。

暑い季節は、下痢に端を発した脱水症状が顕著である。特に、軽症の段階で手当てを受けられない幼い子どもが失命の危機に瀕することになる。
WHOの指標によると、ネパールの乳幼児死亡率はここ10年で大幅に改善されている。しかし病院を訪れる患者を見る限り変化していないかのようである。ER室でまた今日も、我が子に何が起きているか理解することができない母親の横で、栄養失調と脱水症状を呈した幼い子どもが、意識なく微かな呼吸を繰り返している光景に出会う。

敗血症・・・新生児が命を落とす原因の一つであるが、妊娠中に母親が予防接種を受けていればおおかた防げる疾患である。しかし私の目には、ベッドの上で点滴を見つめる母親の姿と、彼女に抱かれた赤ん坊の小さな左手に刺さった留置針とが、不釣合いな要素として映っていた。そこには悪魔が存在し、不幸を導く方程式が釈然と成立しているかのように感じた。 

乳幼児の生命の危機は、母親(そして父親)の無知や怠惰による「とばっちり」なのであろうか?
ネパールにおける十月十日(とつきとうか)は、他国のそれと異なる意味を持つのであろうか?
もっとも、ネパールでは妊産婦の死亡率も他のアジア諸国と比べ飛び抜けて高い。彼女たちの本当に気の毒な運命も、もっと大きな「とばっちり」を受けたことによるものなのであろうか?

方程式は係数を含む。その係数を構成する要素の一つに、ここでは「少数民族=マイノリティー」を挙げることができる。
科学的に確固たる証拠があるわけではないが、統計的に乳幼児の死亡率との間に正の相関関係が存在する。一般的に、同国の平野部に住む少数民族の多くは、特に女性は十分な教育機会を受けることなく成人した人が多い。
先述した2つのケースも患者はマイノリティーである。タルー、マデシと呼ばれている。患者がマイノリティーに属するかどうかは、苗字から(それが良いことかどうかの論議は他に譲るとして)判断することができる。

???・・・そもそも「とばっちり」とは予期せぬ負の外部要因を指す。
また方程式とはセオリーのことである。
従って本来2つの概念は相反するものであり、予め定められた「とばっちり」などないはずである。
輪廻転生を信じるのであれば、マイノリティーに属することは予定説の一部であるに違いない。しかし、魂が行き交う何百年という歳月の中で、魂に選択肢があるとすれば、それはとばっちりと言えるかもしれない。

さて、不幸の方程式を崩す方法がある。
それは「まさか」の実現である。敢えて言うなら「逆説のとばっちり=正の結果をもたらすとばっちり」である。
「まさか、ブトワールの地に子ども病院が建設されるなんて・・・まさか子ども病院が今日まで10年も運営され続けるなんて・・・まさか子ども病院がこんなに多くの子どもの命を救うなんて・・・」
きっと不幸の方程式を持ち込んだ悪魔はそう囁いているに違いない。

そして今、もう一つの「まさか」を実現したいと考えている、国際ボランティア貯金の配分金と皆様からのご寄付を頂戴して。
「まさか、こんなに多くの少数民族の女性が妊産婦検診を4回受けるなんて・・・まさか、こんなに多くの出産が安全に施されるなんて・・・。」

今最初の一歩が始まろうとしている。

(暑さのせいか、少しラフな書きぶりになったことをお許し頂きたい。)
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